野際陽子(no.3962): ありえるぷらねっと
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  • 今年1月に傘寿を迎えた女優・野際陽子(80)は、いまだ衰えを感じさせない。4月6日にスタートした人気ドラマ『警視庁捜査一課9係season11』(テレビ朝日系)に準レギュラーとして出演。さらに同15日から始まったNHKの連続ドラマ『コントレール~罪と恋~』にも、主人公(石田ゆり子)の姑役として出演している。

     女優として、いくつになっても第一線に立ち続ける姿からは想像もできないが、野際は現在、大きな病と戦っている。野際と親しいテレビ局関係者が明かす。

    「野際さんは2年ほど前に肺がんを患いました。当時、彼女は昼ドラの撮影に追われていたのですが、いつも脂汗を流すほど過酷な撮影だったそうです。
    http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160424-00000014-pseven-ent

    富山県富山市に生まれ、3歳から東京都杉並区天沼で育った[2]。杉並区立杉並第五小学校[3]、立教女学院中学校・高等学校、立教大学文学部英米文学科卒業。大学時代はESSの英語劇セクションと劇団テアトルジュンヌに所属し、四大学英語劇大会など数々の作品に出演[2]。テアトルジュンヌの1年先輩には東海林のり子が、大学の同級生には長嶋茂雄や高橋悦史(英米文学科の同期)がおり、在学中にはミス立教や日米対抗アメリカンフットボールの応援団のクイーンなどに選ばれた[4]。
    大学卒業後、1958年(昭和33年)にNHKにアナウンサーとして入局し、3か月の研修後に名古屋放送局に赴任[2]。天気・婦人番組を担当。翌年の伊勢湾台風の災害報道にも関わっている。1960年(昭和35年)にNHK東京放送局に赴任。テレビ『おはようみなさん』の司会を週1回担当。以降の2年間は週3本のレギュラー番組を担当した[5]。名古屋赴任時に独身寮の野際の部屋に折悪しく給料日に強盗が入り、ナイフを突きつけられ金銭を要求された経緯を『徹子の部屋』、『いつみても波瀾万丈』、『ボクらの時代』出演時に語っている[6][7]。
    1962年(昭和37年)3月にNHK退職後、企画を説明する係として広告代理店へ転職。しかし出番が来ないまま3か月が経ち、給料だけもらうのは忍びないと気兼ねしていると、15分の生放送番組である『女性専科』(TBS)の司会者を担うこととなった。『女性専科』以降は女優活動が中心となった。TBSのプロデューサー大山勝美は「NHKのアナウンサーだった野際を女優に誘ったのは僕」と述べている[8]。1963年(昭和38年)7月5日放送のテレビドラマ『悲の器』(TBS)で主演の佐分利信の教え子になる理知的な若い美人が欲しくで人選していたが、なかなか見つからず。野際は当時NHKの花形美人アナウンサーだったが、近々辞めてフリーになるという噂があり、会って「芝居やってみませんか」と誘ったら「とてもやりたいと思っている」と言われ出演してもらった[8]。ほとんど褒めることのない佐分利が野際のことを「彼女はいいですね」と褒めていたので野際も自信を持ったのではないか、それで東映の映画とかに出演するようになったと述べている[8]。1964年(昭和39年)には、東京都美術館で開催された現代美術展に出展する絵のために、画家伊東深水のモデルとして起用された。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E9%9A%9B%E9%99%BD%E5%AD%90

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